まずは十五夜とはなんなのかを考える
月齢14の月。ほとんど満月
我々にとって月とはなにかをまず述べよう
満月の夜とは不思議なもので、古来、通い婚であった我が国では満月の夜は男女のデートが確実におこなわれる日(夜)であり、和歌にも月夜なのにやって来ない男を恨む歌が多く残る。
十六夜や立待月などは、来ない恋人を待つ女性の姿から名付けられていると私は考える
十六夜の例では万葉集にはっきりと「不知世経月」の表記で出ている。
日をおうにつれ月は「立待月」「居待月」、「臥待月(待ちくたびれて臥しているの意味)」ときて「更待月(夜が更けても待つの意味)」となる。ここまでくるとさすがに女性が可哀想になってくる。諸兄、恋人にはまめに連絡はしよう。
古の人々にとっての月夜がどんなものであったのかが理解できる例として、10世紀末頃に成立した平安文学の『落窪物語』に面白い場面がある。
土砂降りの夜に屋敷にたどり着いた右近の少将(ヒーロー)が姫(ヒロイン)に向かい「こんな天気の夜に会いにきた自分がどれほど貴女(姫)を愛しているかお分かりでしょう」と語る場面がある。
このことからも月夜は深く我が国の精神に趣を与えているといえる。
そんな月夜だが、この十五夜と後に来る十三夜は大昔だと少し意味が違ってくるかもしれない。
それは平安時代ごろから行われるようになった観月の催しがメインになる夜だからだ。
延喜9年(909年)に醍醐天皇が初めて月見の宴をおこなった記録が残っている。
もっとも平安の頃は「十五夜=中秋の名月」のみで観月の宴がおこなわれた。この池に竜頭船などの三艘の船を浮かべ、芸術の才を競う平安の宴の名残は今でも古都でおこなわれている
一方で竹取物語や更級日記にあるように女性が直接(満月を)観てはならないものだったりした。
姉「あ、今、魂抜けた感じする(´ФωФ;`)あっちに行っちゃった 」
妹「ねーちゃん恐ーー(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル」
このことは古今東西の文学や民俗学でもよくみられることなので詳しくはいずれまた。
月夜の割り切れない不思議を解説する
さて先日テレビの天気予報お姉さんが「本日は十五夜ですが、満月ではないのです」と述べていたのを聞いた。確かにそうなのだが、現代ではあまり気にせずそう決められた夜に十五夜をおこなっている。
ご存知かもしれないが
1.十五夜は毎年日付が違う
2.満月ではなくても十五夜となる
この2点において、確かに不思議と感じるものだ。
この2点は、我が国の暦が明治期にグレゴリオ暦に改暦されたことと月の周回軌道が楕円であることに起因する。
まるで絡繰りのようだが順に紐解いていこう。
1と2に関して、明治期にグレゴリオ暦に改暦された事がどう関係してくるのか?それは一か月の計算のやり方が変わったという事だ。グレゴリオ暦は今使っているカレンダーそのものであり、太陽の動き(太陽と地球の関係)を基に組み立てられている。だが改暦以前に使っていた太陽太陰暦は月の動き(満ち欠け)を基に組み立てられていた。もう少し詳しく言うと太陽太陰暦は月の満ち欠けで月日を決め、太陽の動きで年の分割(春分や秋分)が決められている暦といえる。
そのため旧暦(太陽太陰暦)から新暦(グレゴリオ暦)に変更になった際にズレが生じたというわけだ。このズレをどうやって新暦(グレゴリオ暦)に入れ込んでいくのか?なのだ。
日めくりのにある月齢。25に「望」とあるので満月は25日だった
ズレとは具体的にどのようにでてくるのかというと、旧暦(太陽太陰暦)の日の決め方にある。
まず天文学上の満月とは月齢が15となる時だ。だが月の周期は約29.5日であり、きっちりと30日ではなく、やや端数が出る。それは今の時間割である24時間では割り切れないことを意味する。しかも月が地球の周りをまわる公転軌道は楕円であるため、季節によって新月から満月までの日数が約13.8~15.8日の間で変化していくのだ。
また旧暦(太陽太陰暦)の日の決め方は、月始めの日を「新月となる瞬間を含んだ日」としている。
現在の新暦(グレゴリオ暦)にあてはめると、0時00分に新月になっても、23時59分に新月になっても、その瞬間を含む日が始まりの日になってしまう。そして楕円軌道であるがゆえ一か月は29日から30日の間で変化する。このため旧暦における15日目の月齢にもズレが出て、約13月齢~15月齢となる。必ずしも旧暦(太陽太陰暦)の15日目=十五夜が満月にはならない理由がこれだ。
ズレはあるが一か月の半分である15日前後に満月が来るようにはなっているから、まぁまぁいいだろうという案外緩い考えのようだ。
2018年中秋の名月を撮影したが、だめだなこれでは
なぜ「中秋」で「名月」なのか
月見の設え。こんな訪問者なら歓迎だ
なぜ秋に月なのか?古くから、秋こそ月を眺めるのによいとされてきているが、これには理由がある。
これも月と地球の軌道が関係してくる。太陽と月が天空を通る道筋=黄道は、夏は高くなり冬は低くなる。(この黄道にかかる12の星座が星占いにつかわれる12星座だ)
この黄道を動く月は春と秋には人が無理なく見上げいられる高さになる。だが春は霞がでて朧月夜となってしまう。反して秋は秋晴れといわれる様に空が澄み月が冴え冴えと空に浮かぶのだ。
「中秋」の意味はというと、旧暦(太陽太陰暦)の区分において秋は7月、8月、9月であり、旧暦の8月を「仲秋」とよぶ。旧暦8月15日に昇る月を「秋の真ん中にでる満月」という意味で「中秋の名月」もしくは「仲秋の名月」と呼ぶようになった。
中秋の名月とされる夜に昇る月が、必ずしも満月とはならないが、何年かごとに満月になる夜も巡ってくるという。
十五夜は古くから月見(つきみ)とも観月(かんげつ)ともいい、その年の収穫を感謝する日であり月を愛でて宴を催す日でもあった。もうひとつの名月旧暦9月13日の「十三夜=後の月」とともに、一時ゆったりと月を観てもよいかもしれない。
参考文献:別冊太陽「暮らしの歳時記 秋」